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名東区手をつなぐ育成会主催「東日本大震災現地報告会」

by NPO 法人ふわり・社会福祉法人むそう理事長 戸枝陽基
◀出動の様子

 今回は、4月22 日に名古屋市名東区手をつなぐ育成会の総会にて行われました東日本大震災の現地報告会の模様をご紹介します。被災地の様子や障害者の現状、東海地区が被災した場合に何を考えないといけないかをじっくりお話いただきました。


◀報告会の様子

日本を襲った巨大地震


 3月11日、東日本大震災が起きました。僕自身、はじめはテレビを見て呆然としちゃったというか、悪い夢を見ているんじゃないかと受け入れがたい気持ちを持ったというのが自分の印象なんですね。次に思うのは、つながりのある事業所や友達のことです。僕の親友が宮古市の特別支援学校の先生をやっているんですが、その友人から「無事だ」って連絡が来たのが5日目だったんですね。ひたすらやきもきするばかりでした。
 で、すぐにこういう性格なので現場を見に行きたいと思い、たまたま支援依頼もあったので、発生から1週間後に被災地へ行ってきました。それから3度、延べ10日間くらい行っていまして、実は昨日帰ってきたところです。その様子など見ていただいて、まずは何が起こったのかということを確認していきたいと思います。

被災地では船が陸に


◀気仙沼の様子

 はじめに入ったのが仙台、次に石巻。その後、気仙沼です。岩手県一関から、1時間くらい山道を走ると気仙沼に着きます。気仙沼の津波被害にあった地域にいって息を飲みました。建物が基礎しかないんですよ。津波のすごさです。今回の震災では地震、津波、原発という3つの災害が同時に起こったと理解しています。3つを分けて考えないと、それぞれで状況と支援する内容が違います。

中身が出てしまった電柱

 気仙沼は沿岸部に大きな町があって、山手にはそんなに町はありません。そうすると、被災した人達が空いていた物件に我先に入居するとして、空いている物件はもうないんです。今回、ボランティアは来るな、プロに任せろというアナウンスが出されていました。なぜかというと、寝泊りするところが見つからないからです。こういう状況が阪神淡路のときと違います。
 気仙沼の港に船が陸に上がっています。黒くなっている船がありました。津波で陸に上がって、火事にあって焦げて、引き潮で戻ってきたんですね。気仙沼は漁をして暮らしてきた町ですが、暮らしということでは仕事をもう一度ここで作り直せるのか。道具から何から全部ないんです。そういう問題が当然これから出てきます。これは普通の電柱です。電柱の中にはたわんだりしないように鉄線が入っているんですが、津波で引っ張られて中身が出ちゃったという状態です。
 気仙沼の信用金庫では、発災直後に4000万円持っていかれたそうです。被災地には、我先に盗人なども入ってきます。ひどい人がいるものです。
 気仙沼にはある施設に物資を運びました。その法人は、2つある施設のうち沿岸部のほうが津波でダメになり、利用者さんがお2人流されてお亡くなりになったと聞きました。山の上の施設では、ちょうど利用者を送迎のバスに乗せて、いよいよ出ようと思っていたときに、沿岸部の施設から「今すごいことになっているから動いてはいけない」と連絡が入って、みんな助かったそうです。あと15分か20分ずれていれば、たぶん沿岸部に向かって車を出していたので、大変なことになったかもしれないとおっしゃっていました。山の上にある施設では家を流された職員の家族と、身内を亡くされたご本人さんが通所施設を避難所にして生活していらっしゃいました。

緊急時に必要な判断ができるリーダーが経営しているのか


 僕らが行った時に、とにかく「水がない」って言うんです。それまでの1週間は沢から水を汲んできてトイレの水にし、山から拾った薪で暖を取ったり、備蓄の水で何とかご飯を炊いたりしていたそうです。僕が行った施設でガスがない所は、薪で暮らしてましたね。
 石巻の施設では、鍋や釜については、理事長さんの判断で、調理室から大きな釜を外して庭に出して、それに薪たいて、お湯沸かして、湯せんで食べられるものを作っていました。緊急時に必要な対応をきちんと判断できるということが、被災した場合に大切だとして、施設のリーダーがどんな人かってことがすごく大事なんだと、本当に思いましたね。
 皆さんが通っている施設では食料の備蓄をしてくれていますか?長いと1週間、早くても3日間は支援は来ないと思ったほうがいいですよ。東海地区で地震があった場合には、名古屋港などは、岸壁がかなりやられ、物が入ってくるのに他の地域より時間がかかるだろうと言われているそうです。

社会起業家


◀野蒜の被災地に立つ河内崇典@み・らいず代表
  HP http://www.me-rise.com


 日本三景の松島の横を通りました。観光地で有名なところは内海なんですよ。それだけでも被害状況は違います。こういうのが天然の防波堤になっているんです。昔の人はつくづくすごいなって思ったんですが、五大堂は全くなんともないんですよ。ここならいいという所に建てているんです。野蒜(のびる)地区は一番波が高くきたところです。行ったとき、水は引いたんですがこの状態です。
 被災地に行くと車とかに全部スプレーで×が付いているんです。自衛隊が見たという印です。自衛隊は合理的だなと思ったんですけど、発災直後はまずは探せる範囲で生存者と遺体を捜索するんです。そして、ある時点で、おそらく人の生存確率が高いと言われる発災後72時間だと思うのですが、そこで、物資を運び始めるんです。そして、10日ほど過ぎたところでもう1度遺体捜索をしました。この時、僕らは、じっくり川に沈んでいる車とかを見る気になれない。まだ亡くなっている人がいるかもなって直感的に思う、そんな感じなんです。
◀野蒜の様子(瓦礫の中に馬が…)

 馬が死んでいます。馬だから放ってあるんです。今回はマスコミもコントロールして一切写さないけど、このように人も何人か折り重なって亡くなっていたはずです。
 大阪の住之江区で「NPO 法人み・らいず」を運営している河内さんにこの時は、被災地を案内して頂きました。彼は発災5日目からずっと現地にいます。関西や首都圏から学生を100名くらい呼んで、避難所のアセスメントや救援物資の流れを調査し、インターネットで発信しています。こういう若者が日本中にいるってことが、これからの時代すごく大事だなと思います。一昨日も会って、こんなに代表がいなくて、事業所大丈夫なのかと聞いたら、職員たちに「なんだったら石巻の子になっていいぞ」と言われたと笑っていました。そういう職員を信用して委ねるおおらかな性格だから、周りが彼を支えようとするんでしょうね。
 石巻の施設にも行きました。ガソリンは揮発性が高く、爆発する危険性があるので運搬には危険物取扱主任の資格がいるんですが、愛知県蒲郡市で「NPO 法人楽笑」という事業所を運営している小田君という代表が、この資格を持っていることがわかりまして。トラックで1日20時間近く走り回り、いくつかの福祉事業所に、ドラム缶10本の軽油と灯油とガソリンを運ぶことができました。そのお陰で、事業所の車が動き、避難している人達が暖を取ることができました。
 今回の被災地どこでもですが、燃料がない、これが大変でした。どこどこの施設が福祉避難所になっているという情報はあるのに、燃料がなくて動けない人は、行きようがないんです。福祉事業所も在宅の人の状態把握に動けない。
 車が動かないときは、情報伝達をどうするのかも考えておく必要があります。
 この後、社会サービスを組み立てられる本物の社会起業家が、これから被災地に必要です。今回、河内君や小田君はじめ、たくさんの若い社会起業家、ボランティアが被災地に入っているのを見て、なんかこれからの日本の未来に勇気づけられる思いですね。若い人達が今回の震災からたくさんのことを感じて、具体的な行動をする中で、新しいこの国のあり方を提案できる人になるといいなと。被災地で強く希望を持ちました。

福祉の人をみんな待っています


 子供たちは学校が春休みで、こういう時だからこそ教育機関には預かるだけもしてほしいと思うんだけど、避難所になってしまったということもあると思うのですが、しないです。そうすると、子供たちはどうしますか? 被災地に行って愛知と違うと思ったのが、かなりシビアな方でもホームヘルプを使っていらっしゃらないお子さんが多いことです。福祉サービスにつながっている子どもが少ない。どんな状況に置かれているのか、なかなかわからない。だから孤立したままになってしまうんです。
◀石巻の様子

 石巻市の山の上から撮った写真ですね。橋のちょうどアーチのてっぺんにいた3台か4台だけが助かったといいます。要するに津波がかぶったってことなんです。山手はなんとか暮らせるようになっているんですが、沿岸部はこれが相当大きいビルですからね。そう思っていただくと、どれくらいの範囲で被災しているのかがわかっていただけると思います。
◀東松島の様子

 自衛隊が遺体捜索とともに探していたのがアルバムなんですよね。災害支援で必要なのは、物の支援、お金の支援、暮らしの支援、心の支援だと言われています。人間はやっぱり思い出があるっていうだけで心の支えになります。そういうことを阪神淡路から20年、日本人は学んできたんですね。あと、みんなが探しているのは位牌や形見です。
 支援の最後、1 番長く必要なのは、心のケアですよね。サービスマネジメント、カウンセリング、ソーシャルワーク、社会資源作りのできる専門家が被災地に入って欲しいという思いです。もうそろそろこれが求められる段階に来ています。
◀石巻港の様子

 介護度が高い人のための福祉避難所を作ろうという動きが出てきています。厚生労働省もデイサービスとか、仮設住宅にセットで設置すると言ってますよね。問題は誰がそこを支えるのかです。被災地の福祉ニーズは、例えばお年寄りが避難所で具合が悪くなると言った感じで、すごく高まっています。それに対応する人材作りを、できれば、被災地の人の雇用を生む形でやれないかと思います。
 市町村はその際に増大する福祉コストに、再建の費用負担も含めて耐えられるのかということで、ネガティブな気持ちになっているので、被災地の介護保険や自立支援法の費用の市町村負担分は、復興支援財源から当面面倒を見る位の対策が必要だと思います。
 避難所にいた看護師さんと話したら、福祉の人は何しているんですかと言われました。医療はどんどん人を送りましたが、福祉の介護者は本当にニーズに対して少なかったということです。

障害者の被災時ガイドブック


 NPO愛知ネットさんと一緒に『障害者の被災時ガイドブック』というものを以前、作りました。http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/aichiduide
 被災時の動きとしては、最初に安全確保、2番目に安否確認、3番目に初期避難、4番目に避難生活という段階に分けられます。
 障害別では、知的障害の方にはパニックになったときの対応、精神障害の方には薬の確保や心のケアが大切です。身体障害では、避難所に最後までいらっしゃるのは盲とか聾の方です。次に自分がどうしたらいいかという情報をもらえないから、ジッと様子を見ています。身体障害というより、コミュニケーションに何らかの障害がある人たちが孤立するなって実感がありますよね。
 特に自閉症の方は家が被災し、住む場面が変ることもストレスフルなんですが、生活の場が変わるだけでなく、スケジュールが変わることも彼らが混乱している原因だと思うんです。だから、例えば避難生活だとして、その方の一日をきちんとスケジュール組んであげるだけで、状況はかなり違うと思うんですよね。親御さんは動揺し、専門家は来ない。日常の見通しがもてないので混乱したまま、避難所にいる方が存在しています。
 これはお年寄りも一緒なんですよね。何の行動提起もないと、ただペタンと座って、食事を取るので精一杯で、体力が着実に落ちてしまったりする。そこではどうしても寄り添うような支援やケアがいるようになるんだと思います。
 障害者の避難所を決めておくなど、災害が起こる前から社会全体でシステムを作っておいてほしかったと被災地から訴える新聞記事がありました。本当にそれが必要だということでは、共感したのですが、今日、一番言っておきたいのは、当事者や、僕達福祉人、関係する家族などが大きな運動を起こさないと、社会が普通にそういうスペシャルニーズを持っている人に合わせて仕組みなんて作っ
てくれませんよということです。
 例えば、避難所への要求も一人で言いに行くと「あなたはわがままです」となるんですね。一人だとわがままになるので、例えば、障がい者の家族の先輩方は、親の会を作ってきました。危機的な状況になってから欲しかったと言っても、なんか、それじゃダメですよね。作ってくれないというよりは作らなければダメです。
 そういう、常日頃からの備えというか、気付いたことへの具体的な行動こそが、震災への備えとして大事だと思います。

ユニバーサルな避難所になるための日常的な関わり


 最後にまとめです。僕は地域支援のシステムを作りたいと活動してきましたが、事実として、被災地を見てきて、入所施設にいる人間の方が守られている気がします。
福祉協会とか、皆さん本当に頑張って施設を支援しています。しかし、在宅にいる人はなかなか探しに来てもらえず、孤立したままになることが多いです。そうなると、現実的に自分は被災するとして、どのような準備や日頃の福祉サービスなどへのアプローチするのか。障がい者の当事者、家族は、したたかに考えないといけないですよね。
 専門家側には、福祉サービスは利用者のためだけのものでいいですかという問いかけをしたいと思います。日常的にその施設を利用している利用者以外の障害者については、福祉施設はみんな関係ないと思っていないでしょうか。福祉ってそれじゃ、ダメですよね。その地域の社会資源として、利用者以外のスペシャルニーズにまで、支援が届く存在にならないといけない。まずは自分のエリアを決め、その把握していただきたいんですね。「何かあったら逃げていらっしゃい。うちに来てください」と。
 障がいのある方達が、地域住民とコミットしながら、そこの住民になるための営みが地域福祉なんだと考えると、やっぱり、障がいのある方達の居場所を、町の人との関係性の中で作って頂きたいです。最低でも、施設機能を社会化して欲しいです。
 その上で、どうして、福祉施設に集まらないといけないのか。例えば、うちのケアホーム、今、隣組長なのですが、そうだとすると、むそうの拠点じゃなくて、普通に近所の避難所に行かないといけない。避難所で隣組長としての役割を障がいのあるメンバーとともに立派に果たさないといけない。
 自閉症のメンバーがいて。避難所は、物音が騒々しいと耐え難いと。たくさんの人がいて、圧倒されるとなって。せめて間仕切りを。できれば、体育館じゃなくて、教室で静かに対応できないかとなって。
 そうだとして、それは、あの認知症の人も必要な配慮だろうし、あの引きこもりで統合失調症の彼にも必要ではないだろうかと、住民みんなでスペシャルニーズに思い至って。
 自閉症のメンバーがいたので、避難所のいろいろな人も併せて救われるみたいな。
 僕はそういう福祉、そういう地域を作りたいので。施設に集まって、そこにいたから助かったのでよしみたいな。そういう結論では、どうしても終わりたくないんですよね。
 支え合いの、ユニバーサル支援の福祉を。今からでも被災地の皆さんと協働して作りたい。地域福祉やっていて、すみわけ山の中施設を肯定する手伝いなんて、したくない。
 そして、その経験が、きっと、自分の住んでいる地域にも良い影響を及ぼす。そうなるといいなと強く思っています。

避難のシュミレーションをするだけで生存率上昇


 被災状況の流れをイメージしていただいて、避難する場所を家族で決めていた人達の多くは助かっています。人間のすごいところは経験したことのないことをイメージできることです。よりよい状態に自分を変える備えができることです。だから、ぜひ家族でシュミレーションして頂きたいです。福祉事業所や学校もして頂きたいです。
 阪神淡路のときは仮設住宅に移ってから精神的に孤立し、自死する人が出ました。せっかく生き残った命が、この後なくなることだけは何とかしたい。震災で亡くなった方たちもそう思っているはずです。そこに対してできることをみんなで考えていきたいです。

Q テレビで見ていると、障害者の姿があまりみえなかったんですが…?
a:普通の避難所に障害者はいないですよね。本当に重い方はそうはいっても福祉施設につながっているじゃないですか。そこがすっかり流されていると別なんだけど、どこかの施設に行っているんです。後は、自閉症の方などは、避難所にいられないので、車上生活になっている可能性があります。


Q 福祉施設には落ち着いた段階でも物資は来ないんですか?
a:公のルートでは避難所登録をしないと来ないでしょうね。だから、福祉協会とか、共同作業所連絡会などが物資を集めて届けているんです。僕は、解決策は2つだと思っていて。ひとつは、公的ルートの整備。もうひとつは、離れた同時に被災しない所の仲間の関係ですよね。○○協会の人に助けてもらおうとか、そういうことを日常的に決めておく。それを1つではなく、2つか3つ担保しておくことが大事だと思います。



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